BLUE GRAY GREEN

JOURNAL

Interview_08 :
UP DATE : 2024 / 08 / 06

「暮らし」と「働く」をくっつけること
実践的にやっていきたいですね

木村吉成(建築家/木村松本建築設計事務所)

INTRODUCTION

京都へ。大正から昭和初期に京都を中心に活躍された建築家・本野精吾氏が竣工した自邸を事務所として使用しているという、木村吉成さん、公私ともにパートナーである松本尚子さんお二人の仕事場、木村松本建築設計事務所へ。ネットで調べるとすぐに写真が出てくる。四角いコンクリートブロックの建物。そして木村さんの写真もちらほら。なるほど、この建物にふさわしい雰囲気の方。この四角いコンクリートブロックのように難しい人に違いない。京都のちょっと北、のんびりとした住宅街にある事務所にお邪魔した。お会いしてみると思っていた印象とはまるで正反対。興味深い話をたくさん聞かせていただいた。

Yae
Yae

木村吉成(建築家/木村松本建築設計事務所)

和歌山県生まれの建築家。人の自由な生活や活動の動機となる建築をつくることを理念に、住宅から公共・商業、地域の産業にまつわる建築までを日本中で幅広く手がける。

初めまして。なんとも素敵な建物ですね。

木村:ずっと好きな建物だったんですよ。だからいろいろなところで本野精吾が好きだ好きだって言ってまわっていたんです。あるとき建築メディアの公開トークで、好きな建築家の写真を一枚あげて、それについて好きなだけ語るっていうちょっとマニアックなイベントがあって笑。それに参加した時、本野精吾が建てた自邸の当時の写真をスライドに映し出してしゃべったんです。その写真は本野精吾の建物を管理する団体から借りました。そしたらちょうどその建物を貸そうと思っていたらしいんです。それがきっかけです。とてもいいタイミングでした。結果的に「生活」と「働く」がとても近くなって今は理想的な暮らしができていると思います。自宅も歩いて10分なんです。

自宅と仕事場が徒歩圏内なんですね、理想的!

木村:そうなんです、子どもも小学校に上がって、すぐ近所で。放課後 は学童にいったり、事務所に来て仕事をしている横で宿題したりしてい ます僕たちは共同代表なので二人の事務所、彼女もここで仕事をしていますし、彼女の実家もすぐ近くなんです。

木村さんのご出身は?

木村:生まれは和歌山です。それから大阪芸術大学に通って、卒業後は大阪の建築事務所で働いていました。独立してからも大阪に10年ほど事務所を構えていました。ちょうど子どもが生まれるタイミングで夫婦どちらかの親を頼ろうということになり京都に移り住みました。はじめは二条城の近くあたりでした。ここから自転車で20分位かかるんです。それから自宅も仕事場もすべてを近くにしたいなって考えるようになって、子どもが小学生に上がるタイミングでこのあたりに物件を探していたんです。町屋とか昔の染め物工場の跡地とかの物件は街中に集中していて、このあたりは住宅街なのでそういった大きな建物がなくて、さあどうしよう?って考えていたときに、この建物を借りることができたんです。

この建物は住宅として建てられたものですよね?それを事務所として使う利点はありますか?お風呂やキッチンもありますね。

木村:事務所のスタッフたちとは長い時間を一緒に過ごしながら物作りをする仲間なので、仕事の合間で時間が取れるときや学生インターンが来ているときなんかは、ここのキッチンでごはんをつくって食べ・会話をします。広い庭ではスタッフが野菜を育てたりもしています。そんなふうに「暮らし」と「働く」のあいだにある線引きを捉えなおすようなことが日々の実践としてあります。それだからか、僕たちがこれまでに設計した建築、例えば B olts hardwar setoreさんやバヒュッテさんもそうですが、住宅系のクライアントの大半は「プラス α」 の建築が多いです。住宅に加えて店舗やアトリエ、デザイン事務所や工房といったように。いわゆる職住一体建築です。もしかしたらこの事務所での日々の実践がそういった人びとに届いているのかもしれません。

バヒュッテ

なるほど!仕事ともリンクしているんですね。そもそも「本野精吾」さんを好きな理由はなんですか?

木村:建築史家で建築家の藤森照信さんが雑誌の連載で近代の名建築というコーナーをかつてやっておられて、あまりメディアからも脚光を浴びてこなかったものやそうでないものも、藤森さん独自の視点でとてもおもしろく読み解くという記事があったんです。それにこの建物が載っていて、すごくかっこいいなと思ったのがはじめでした。20代の時に憧れた建築物で40代になってまさかここで仕事ができるなんて思ってもいなかった。

どういうところに惹かれましたか?

木村:佇まいがモダニズム建築なんですが、そういう建築って白くて健康的な感じがしますよね。そういったイメージも好きなんですが、ここはそれとも違う。モダニズムでも違う側面を持っている建築なんじゃないかなって思うんです。モダニズムってこうだ!っていう先入観が若かったその当時にあったんですが、この建物を見たときにこれもそうなんだ!って。こんなに幅の広いものなんだなって思えた建築物だったんですよね。だから好きなんだと思います。

外側も装飾もしていなくて剥き出しな感じ。躯体が剥き出しで仕上げていない感じが面白いですね。先ほど見せていただいたBOLTSの店も剥き出し感がすごかった。未完成というか、仕上げきっていない感じが共通点なんでしょうか?

木村:そう感じてもらえたら嬉しいです。まだ工事中みたいな。建築って完成してしまうと動かせない、つまりそこにずっとあることになりますよね。じゃあ何か、まだ完成していなくって動きそうな状態をどう設計するのか?みたいな。住む人、使う人の主体性で好きに使えるという自由度を与える。平面的に広いとか、柱がないという空間的な自由度より、自分の動機に左右するような自由度ってわりとギチギチに仕上げられていなかったり、真っ白に塗り込められていなかったり。

BOLTS
BOLTS

だから居住プラスαみたいなクライアントが多いのもそういう理由なんでしょうか。建った後に使う人がそれを埋めていくような。

木村:BOLTSもはじめは物が少なかったですが、今ではたくさんありますよね。しかもまだまだ置けそうです。隣の敷地は当初は人の持ち物でしたが後に購入しました。今は元からある古い建物をオーナー自身が手を入れて使っていますが、設計の当初からその隣地への増築の可能性も視野に入れていたため、その前提で設計していました。拡張性を踏まえて隣地側に面した構造をフレキシブルしておくという設計です。

増築前提の建築って面白い!京都って特殊な土地が多いですよね。

木村:そうですね、間口が狭くて奥行きのある土地が多いんです。それに合わせて限られた予算で作ると木造になるんです。木造は上からの加重に対して下から支えて、地震や風など横からの力に対して耐えるようにする。だから柱があって梁がある。横方向に耐えるために壁を設けたり筋交いを作ったりする。この組み合わせ。でもそうすると間口の狭いところに壁や筋交いがでてきて、狭くなったり通れなくなったりしてしまうので、奥行きの深さをそのまま空間化するような建築を考えました。

それと京都ってよそ者が入り込みにくかったり、一見さんお断り、みたいなイメージがあるのですが、この場所に来ての仕事ってどうですか?

木村:僕もそう思っていました。でも京都って大学などが多くて、日本や世界中の各地から学生が集まってくるんです。卒業してそのまま京都に居着く人も多いので。僕のクライアントも京都ではない人も多いです。いろいろなところから来る人を受け入れる寛容さと懐の深さもあると思います。そうやって新参の人が仕事していくことになっても面白がってくれるんです。「京都人」って街の中心地・洛中に住んでいて、かつ三代以上住み続けないとそうは言えないんです。厳しいんです。なので僕は絶対に京都人になれないですね。僕にひ孫ができたらやっとって感じですね 笑

なるほど!そう考えるとこの場所だと京都人にはなれないってことですね。

木村:ここは田舎ですね。いわゆる京都っぽくない。それでも自転車で15-20分自転車で走れば街中に出られるのもいいところです。京都は100年以上も前に建った建築物の隣に現代建築がバンバン建っているすごく変な街でもあるんですがそれも京都っぽい。コンパクトなので自転車でまわれるし街の人たちとも繋がりがすぐにできるんです。

建築以外のこともお聞きします。以前にはDJをやられていたとか?

木村:大学生のころやっていました。最初はハウスをかけていましたが、4年生になるとドラムンベース、テクノ、ヒップホップとかを中心にジャンルレスにミックスしていました。ある時、僕が作ったテープを気に入ってくれたDJがいて、大阪の心斎橋のクラブでレギュラーになって。大学で課題をやりながら毎週レコードを持って夜はDJをしていました。

音楽や趣味は住宅があってその生活に必ず付随していく物ですよね。先ほどの住宅プラスαみたいな。他になにか好きな物はありますか?

木村:生き物の置物を集めることが好きです。元々生き物は好きなんですが、その生き物をデフォルメして置物にしているっていう。そのデフォルメの間にすごくおかしな解釈が入っていて、すると本来は存在しないはずの生き物、例えばそれが木彫りの熊だったりが誕生するわけです。変換の間に介入しているものが興味深くて、それを読み解いたりするのが面白くて。そういう楽しみかたをしています。

笑!面白い!音楽やそいうった物を集めることが建築の仕事に影響することがありますか?

木村:あると思いますね。松本さんは多分違う感覚でやっていると思うんですけれど。建築の中で関係しているなと思うことは、設計である部分を作る時、その機能を果たすために作られた既成の部品を選択します。これは何用に使うものって、その用途が決まっていますよね。でも必ずしもそれでなくてはいけないはずはなくて、そうじゃないものでもその機能さえ満たせば問題はないはず。例えば開くっていう機構さえ合えば自動車用の蝶番を持ってきて住宅のドアに使ってもいい、そういう感じです。 DJでいうところのBPMをそろえてつなぐという作業に似ていて、うまく繋げれていればジャンルは関係ないみたいな。それがミスマッチであったとしても、BPM があっているという地点での辻褄、あるいは韻みたいなものが踏めてればいい。そんなふうに、デザインするための自分の手元を広げるっていう考え方、DJをやっていたときの半ば遊びにも似たそんな感覚が今もつながっていると思っています。

なるほど!自分の中でちゃんと納得できればそれ用の部品でなくてもいいって感じですね。

木村:ある人からするとこれは何だ?って思うものになるかもしれない。ところでデザインってそもそもすべてが自分からスタートしないものだって思っています。過去に誰かが建築した物だったり、そもそもの設計方法、形、様式、形式もそう。そういうのを前提として僕たちは設計している。学校でもそうやって学びます。そうやって受けた教育なり修練なり作法といったものって、忘れて自由に振る舞うことは簡単にはできないんです。体に染みついちゃっているから。だから僕が設計するときも自分がすごく自由であると思わないようにしています。だけど、そういった先入観を外して考え抜いた先に合理性があらわれ、更にはそこにある必然性を持ち合わすことができたならば、その時点で初めてそれが見たことのないものとなり、また独自性につながるのかなと思います。変なところから変な物を生み出すのではなくて、真っ当なところから自分がデザインするフィールドを広げていった中で生まれる物が、特殊になっているかもしれないっていうルートが好きなんです。

その自由、そういう風なことをするために普段考えていることはありますか?

木村:理由を考える癖がありますね。それは建築家のデザインでなくてもいいんです。街を歩いているときも写真を撮りためているんです。「よみ人しらず」のデザインって街中にたくさん転がっているんですよね。それを見つけてなぜそういう結論に至ったのか?というのを読み解いて感動する、というひとり遊びをしています。例えばあるとき道を歩いていて、道路と敷地の間に側溝があり溝蓋があったんです。それにまな板が挟まっていた。とても奇妙な光景だなと思って立ち止まり考えてみた、するとわかったんです。耐久性、クッション性あとは水に強いという機能で身近で安く手に入る物って考えたらまな板だった。天才!って思ってひとりで感動しましたね。つまり、鉄板でできた溝蓋が車の通行で曲がって浮いてしまっていて、そこをクルマが走るたびにうるさいからその伱間にまな板を挟んでいたんです。パッキン代わりですね。

街中で一人ニヤニヤしている木村さんを知らない人が見たらヤバい人ですよね 笑。パートナーの松本さんとお二人で事務所をやられている利点はどんなところですか?

木村:世の中には学生時代の友だちが、あるいは夫婦で建築家というひとがたくさんいます。よくあるのは名義は一つですが、誰が何を担当するのかって別れていることがあります。だから作品を見ると、これはそのどちらが担当したのかわかったりすることもあります。でもうちはすべてを二人でやります。担当制はなし。それを決めごとにして、どれだけ忙しくなってもそうするって独立したときから決めていました。本来、建築ってたくさんの人たちが関わってくる領域だし、それぞれの立場から発した・決定した物事はきちんと保証しないといけないんですよね。だからそれを何度も検証しないといけない。それゆえに客観性が大切なんです。僕らのいいところは悩んだときに同じフィールドで、自分ごととして議論ができるところだなって思っています。そして僕が音楽好きなように、松本さんは現代美術に詳しくて、リファレンスの対象が多岐に渡るので議論していてハッとします。

そのパートナーが奥さんっていうのはどうでしょうか?

木村:事務所の独立と同時に結婚したんです。だからもはや必然というか。結婚したときのお祝い金で独立したんです 笑。皆さんがお祝いくれるじゃないですか。そのお金でコピー機を買ったりしました。いわゆる策略的な結婚ですね 笑。

でもそれって合理的ですね!笑。住宅を建てることってその人の暮らしの中心になるし、人生で一番大きな買い物って言いますね。

木村:最近はそういうふうに重くならないようにしているんです。例えばずっと住まずに手放してもいいですよってクライアントに話しています。長い人生、もし他に住みたい街ができたら、この家があなたの足を引っ張ってしまったら嫌でしょう。僕はそういう物を作りたくないので、だけどもし手放したとしても他の誰かがその建物を受け継いで使えるという状態に作っておきましょうって伝えます。クライアントもこれから未来のことはわからないですからね。子どももあと10年で家を離れていってしまう。そのあとどうしましょうか?とか。なるべく長い時間感覚で建築を見てもらえるようにしています。

それって先ほど話していた未完成っていうところにつながるんですか?

木村:まさにそうですね。

建築家として持続可能なこと考えますか?

木村:ここからさらに北に行くと、北山というエリアがあるんですが、そこは主に小径の丸太の生産で栄えた林業の集落です。特に、床の間に立つ床柱に特化した特殊な林業を営んでいたのですが、今では床の間だけでなく、そもそも住宅のなかに和室がつくられないこともあり、かつて程の需要はもうなくなってしまった。つまり産業としては衰退してしまっているんです。そしてその地域には山から切り出した丸太を磨き、乾燥させるための小屋、「林業倉庫」とよばれる背の高い建物が今も残っています。その一つを歴史家を中心人物として、建築家の僕たち、アーティスト、家具屋、グラフィックデザイナー、骨董屋をやっている仲間で借りました。さてここで何をしようか?ってみんなで考えるうちにこの地域にちなんだもの、つまり「循環」をテーマとしようということになりました。それは、決して物だけでなく、生活の行為や産業をも含め、循環という観点から再考しようというものです。林業の再生に限らず、集落で培われた産業やその技術、知恵から学びを得て、現代や未来を生き抜くヒントを得ようという考え方です。そういったプロセスから得られるものを現代に接続していけたらと思っています。
当初、建物を借りたのはいいのですが、閉業して長らくの間に捨てられた・集められたたくさんのゴミがそこにうず高くありました。処分業者に頼もうとしたらすごい金額でバカバカしくなり、自分たちでかたづけることにしました。片付けをしているとゴミについていろいろなことがわかってきました。例えばプラスチックです。ある種の樹脂はともかく、通常のプラスチックは再利用が難しい。粉砕してプロダクトや建材としてアップサイクルするとか、やってみたいアイデアは色々ありますがまだこれからです。一方で木はなんとでもなりやすい、再活用したりウッドチップにしたりと再利用は容易です。そんなふうにゴミをゴミとして見ない視点にも循環という考えは根ざすわけです。それとその建物にはトイレがないので作ろうという話になりました。
せっかくだったらそれも循環に関係するもの、つまりコンポストトイレにしようって話していて。コンポストイレの勉強会を開いて仕組みを学んでいたところそれを聞きつけた京都のリサーチパークの足立さんという方が声をかけてくれました。京都の梅小路公園で毎年音楽フェスを開催している「くるり」のボーカリスト岸田繁さんが循環に興味をもっていたみたいで。岸田さんはフェス中に出店されるフードコートから出た食品残さを廃棄物とせず、分解して土へと還すコンポストステーションを作りたいと考えておられたようです。そのステーションを北山の素材と、どこででも手に入る汎用部材をハイブリッドさせたものとしてデザインしました。ビニールハウスのフレームと倉庫に眠っていた丸太を使っていて蓋はガルウィングのように開きます。解体された建築の壁土ともみがら、米ぬかを入れたものを「床材」といって、さらに公園の落ち葉を投入して付着した菌を培養します。そこに食べ物の残さを投入する、すると菌がそれを時間をかけて分解してゆきます。だいたい3ヶ月ほどで立派な有機の堆肥に生まれ変わります。建築の設計って、さまざまな人や技術や産業などの出会いの場、つまりネットワークの結節点のような領域なんだとつくづく実感します。そんななかから新たなプロジェクトが生まれ、またネットワークが広がるというこの連続。面白いですね。

ほんとですね。ただ建物を作る人という建築家ではないですね。これからの夢はありますか?

木村:僕たちのドメインとポジションできっちり仕事をしていきたいと思っていますね。ひとりのデザイナーがすべてやらなくていいと思うんです。僕たちはコンクリート打ちっぱなしのバキバキな建築はやらないと思いますし、真っ白なホワイトキューブのギャラリーみたいな住宅も絶対に作らない。それがダメという訳ではなく、僕たちの役割ではないというだけのことです。多くの建築家や地域の工務店、ハウスメーカーそれぞれに役割があると考えています。そういった人々とともに、これまで・これからも日本のハウジングを支えているだという感覚を持ち続けたいのです。ところで大手ハウスメーカーのインハウスのデザイナーの友だちもたくさんいるんですが、飲みながら議論をすると僕たちとは全然違った理念を持っていることを知ります。それは蓄積された膨大なデータとともに歴史や技術を背景としたものです。でもそれは僕らは持っていない。だけど僕らにしか実践できないこともある。だからその立場の違いを認め合い、議論を深めることにこそ意味があると思う。そんなふうに垣根を越えて話し合えるということが建築という領域のおもしろさなんだとも思います。なのでこの事務所も僕一人でやらなくていい。パートナーがいますし、スタッフ、つまり仲間がいます。
これからの時代、専門性を一般にわかりやすく紐解くこと、つまり開いていくことも大事ですが、その前に専門性を高めていくことってすごく大事だと思います。そうやって高めたものはオリジナルな技術になって、わかりやすくみんなから見えるようになる。あの人たちはこのことのプロフェッショナルなんだ、と。それは建築だけでなく、どの分野においてもそうでしょう。それぞれの専門性がより重視されるんじゃないかなって思っています。

Yae

木村吉成
(建築家/木村松本建築設計事務所)

和歌山県生まれの建築家。1996年大阪芸術大学芸術学部建築学科卒業。根岸一之に師事。狩野忠正建築研究所を経て、2003年に松本尚子と木村松本建築設計事務所を共同設立。現在、大阪芸術大学芸術学部建築学科准教授。人の自由な生活や活動の動機となる建築をつくることを理念に、住宅から公共・商業、地域の産業にまつわる建築までを日本中で幅広く手がける。