BLUE GRAY GREEN

JOURNAL

Interview_05 :
UP DATE : 2021 / 04 / 28

お寺とスケートボード

大場康司(宮大工 / Wooden Toy)

INTRODUCTION

伝統的な宮大工であり、「Wooden Toy」というブランドでスケートボードの制作やランプ、セクションの施工も手掛ける大場さん。もちろん本人もスケーターだ。僕が初めて彼を見かけたのは10年以上前のこと。当時、東京三鷹市にできたスケートパークでのことだった。ミニランプやスパインなど、トランジションをスムーズに乗りこなしているスケーターがいて、その顔には満面の笑み。見ているこちらも気持ちよくなるその滑りはとても印象的だった。あるときあの笑顔で滑っているスケーターは大場さんという人で、宮大工だということを知った。それからしばらく経って、とあるお店の店内に小さなボウルができたので滑りに行くと、合板で組まれて作られたそのボウルの仕上がりのきれいさに驚いたのを覚えている。話を聞くと大場さんが作ったボウルだという。そんな彼がWooden Toyという自身のスケートボードブランドを始め、職人ならではの丁寧で細かい作業と独自のユーモアで板を作っている。スケートボードと宮大工。パッと見るとまるで遠いところにあるような不思議な組み合わせに思えるが、どちらにも共通する「木」との向き合いを通して大場さんがやっていることが腑に落ちた。

大場康司
大場康司

大場康司
(宮大工 / Wooden Toy)

大場組代表、宮大工として建築業に携わる傍らスケートボードブランド、Wooden Toyを展開。

大場さんが宮大工になるきっかけはどんなことでしたか?

大場:なにかしらの職人になりたいと思っていたんです。いろいろ調べて、家を建てたりする大工がいいかなって思ったんです。当時、建築の学校に行って設計などを勉強していたんですけれど、自分には合っていないと思うようになりました。現場監督とかより、実際の現場で自分の手を動かす職人の方が合っているなと思って。そして在来工法という柱と梁を組み合わせて作るような、昔から日本にある工法で作れる大工になりたいと思いました。当時、そういう大工さんを探したんですがなかなか見つからない。その方法でやっているのは宮大工とか数寄屋大工さんしかいなかったんですよね。それで宮大工の会社に入りました。特に宮大工になろうと思っていたのではなくて、探していったら自分がなりたいのが宮大工だったんです。丸太から作っていくような仕事をしているのは宮大工しかいないので。

イチから作ることに魅力を感じたんですか?

大場:当時、僕が見てきた多くの大工さんって、工場で加工された木材料を現場で組んでいくだけだったんですよね。組んだものに石膏ボードを張って終わりみたな。それって職人というより作業員かなって思ってしまって。僕がイメージしている大工ではなかったんです。昔のイメージで墨をパチッとやったり、ノミやカンナを使っているような。そんな仕事をしているところはないかな?と思って探したんですが、そんな仕事している大工はいないよ。って言われてしまって。

今は宮大工としてどういう仕事をしていますか?

大場:修繕もやりますし、新築で一から建てることもやっています。僕が当時働いていた親方のところは小さな会社だったんで、規模の大きい仕事はしていないんだけれど、小さな建物を何軒も建てたりしていたので。一から建つまですべてを付きっきりでやらせてもらえたんです。それが良かったですね。例えば関西とかの大きな会社だと、建物の規模が大きいので、一部分のところしかやらせてもらえないんです。たくさんの職人が分業で仕事をするので。屋根材の人はずっと屋根をやっているみたいな。

大場さんが手がけたのはこのあたりだとどの建物ですか?

大場:修復ですと杉並の妙法寺とか、横浜の妙蓮寺、池上本門寺の周りのお寺もやりました。一からですと、自分が独立してから建てたのが荏原金刀比羅神社や目黒不動尊。設計からやらせてもらいました。宮大工の見習いをやったあとに一応建築士の資格を取ろうと思って勉強したんです、2級ですけれど。それで設計もできるようになりました。角材から作っていくんです。小屋組っていって、屋根の中は丸太のまま組みます。柱とか材料になるものは材木の問屋さんに行って選んできます。

宮大工として大場さんのこだわりは?

大場:寺社にしても住宅にしてもお客さんの要望を聞くことから始まるんです。どういう用途なのかをちゃんと把握することが大切だと思っています。お寺でも宗派によって建物がぜんぜん違うんですよね。配置なども違うんです。もちろんお寺と神社でも違いますし。あとは都内だと母屋とくっついていたりすることも多くて。そこの出入りする動線とかを考えるのが重要になります。あと建物を建てる時に一番大切なのは強度、耐久性です。お寺ですと、何十年、何百年と残る物ですから。もちろんそのための修繕もとても重要です。

目黒不動尊
目黒不動尊

お寺や神社は木材がむき出しで風化したり腐ったりしてしまうイメージですが?

大場:それがですね、ボードなどで覆い被せてしまうよりも長持ちするんですよ。湿気が逃げなくて木の中にこもってしまうと、腐るのも早いんです。それといまは釘もたくさん打つじゃないですか。その釘が錆びるとそこから木材も傷んでいくんです。お寺とかむき出しですけれど、水はけを良くして常に水に浸らないようにしておけばとても長持ちするんです。変色はしていきますけれど、木そのものは生きているんですよ。

お寺とか建てるときは釘は使うんですか?

大場:もちろん使います。でも骨組みには釘やビスを極力使わないようにしています。やっぱり建物の骨となる部分なので腐らないようにするんです。使うとしてもボルトですね。その上の屋根とか反らせて貼るところは釘とビスで押さえながら作っていきます。屋根の耐久年数って60年-70年なんです。ちょうどそのくらいで釘も腐ってしまうので。屋根と同じサイクルでまた修繕するんですよね。

今度はスケートボードについて教えてください。スケートボードはいつ頃始めたんですか?

大場:始めたのは遅くて19歳の時でした。85年くらいですね。当時、一世風靡したスケートチーム「ボーンズブリゲード」全盛期でした。それしかないみたいな時代ですね。笑。当時、スラッシュメタルの音楽が好きで。アンスラックスってバンドが好きでした。実はおじいちゃんになった今でもやっているんですけれど。その人たちがスケートボードに乗っていたんですよね。

アンスラックス!音楽も特徴的でしたね。

大場:それまでスケートボードと言えば、小さくてプラスチックでできているおもちゃみたいなイメージでした。でも彼らが乗っていたのはもっと大きくてグラフィックもかっこいいものだったんですよね。そんなのに乗って出てきたからかっこいい!って思って。初めて買ったのはやはりボーンズブリゲード、パウエルの板でした。トニーホークのモデル。ムラサキスポーツで買いました。当時思っていたより高くて、たしか3万円くらいしました。板はいいんですが、それでもトラックとウィールは安いおもちゃみたいなのしか買えなくて。家の周りや学校でやっていました。通っていた大学に当時有名だったスケートショップ「ストーミー」のライダーがいたんです。彼と仲良くなって、ストーミーに連れて行ってくれたり、お店が原宿なのでその周辺のスポットを教えてくれたり。毎週金曜日にライダーの練習会っていうのがあったんです。ストーミーの社長がパークとかジャンプランプを持っていろいろなところに連れて行ってくれたんですよね。当時から有名だったヨッピーくんとか川村サトシとかそのあたりの人たちと一緒に滑らせてもらえたんです。そこからスケボーの世界が広がりました。二十歳くらいでしたね。

大場さん自身でスケートボード板を作ったり、ランプを作るようになったのは宮大工として仕事を始めてからですか?

大場:見習いで入った会社は徒弟制度だったんで、その間は住み込みだったんです。その間はスケボーには乗っていませんでした。30歳くらいに東京に戻ってきてからまたスケボーを再開しました。たしか90年代終わりくらいでしたね。7-8年くらい乗っていない間に板のカタチもすごい変わっていて。ノーズもテールみたいに長くなっていてキックが付いていて。サイズも小さくなっていて初めは怖くて乗れなかったです。

トリックもだいぶ変わりましたね。

大場:そうですね、だいぶ変わっていましたね。ランプを直したりするようになったのはその頃からですね。世田谷公園にミニランプがあったんです。それがだいぶ古くなっていて、それを補修するようになりました。それからセクション作りを始めました。

スケートのデッキ作りより、ランプやセクション制作が先だったんですか?

大場:当時からデッキを切ったりはしていたんですが。そのころはデッキの元になる原板が日本にはなかったんです。海外からの輸入品なんですが、ほとんど日本には入ってきませんでしたね。しょうがないのでちょっと大きめなスケボーの板を買ってきて、自分が好きなカタチに切って乗っていました。そのうち並行輸入というのができるようになって、工場から直接入手できるようになったんです。ランプとかは普通の合板で作れるんですが。デッキの元になる原板はそれ用の特殊な板でしたから。

ブランドとしてWooden Toyを始めるきっかけになったのは?

大場:2007年くらいの時かな?その頃は建設会社に勤めていて、現場監督をしながら営業もしていたんです。そのうちランプやセクション作りなどのスケートボードの仕事も入ってきました。でも建設会社だからそういう仕事を取ってきても、それは受けないとか言われてしまって。中にはやれる仕事もあったんですが、あまり会社はいい顔しませんでした。だったら自分で会社を作ろうと思って。最初はその建設会社に勤めながら副業みたいな感じでWooden Toyという会社を作ったんです。なのでスケートに関わる仕事はWooden Toyで受けて、建設会社の仕事が終わってからとか、休みの日にセクションを作ったりしていました。

大場さんが作る板というのは、トリックに特化しているとかではなく楽しむスケートボードって感じですよね。デッキを作るときのシェイプってどういうアイデアで作っていますか?

大場:お客さんが望んでいるデッキを作るようにしています。クルーザーで乗りたって言われたら、どうやってクルーズしたいのか?って聞きます。通勤で使いたいなら、通勤時に持ちやすいようなハンドルを付けたり。電車に持ち込んでもオシャレに見えるようなカラフルな色使いにしたり。サーフィンの練習でどこかクルマで持っていって乗るのなら大きくてもいいとか。お客さんの要望に合わせて作っているんです。最近は建築の仕事が忙しくてなかなか作れないでいますけど。

Wooden Toyのデッキはステインの塗装が特徴的ですね。色も自分で塗装しているんですか?

大場:そうです。ステイン塗装にするのは木目が見えるからなんです。プラウウッドなんですが、一枚一枚木目も違うんです。その木目も見せたいと思ってその木目が透けて見えるステインを使っています。

スケートボードを作ることと宮大工として仕事をすることに共通することはありますか?

大場:やっぱりそれを使う人が使いやすいように仕上げることです。あと強度もちゃんとあるように作ることは基本ですね。お客さんの要望に応えられないのではだめだと思います。どんなものでも使いにくいなんてだめだなと。話にならないですね。

最近では個人でスケートボードを作っている人も増えていますよね。誰か好きな人はいますか?

大場:熊本で家具やをやっている人。無垢の板で作っている人がいるんです。GRAIN-ON SKATEBOARDS っていうんです。その人の見たときこれはかなわないなって思いました。無垢の板に柄を埋め込んでいくんです。その技術がすごくてびっくりしました。自分でも何本も買いました。サンフランシスコでやっているアイリスっていうのも良かったです。使い古したスケートボードを重ねて作っているんです。

宮大工してもスケートボードでも木材を使っているじゃないですか?スケートボードはメイプルの合板が使われていますね。

大場:メイプル=楓なんですが、軽くて強度があって、しかもしなりもあって柔軟なんです。なかなか他にないんですよね。木が暴れないんです。どういうことかというと、他の堅い木だと木目が強くて癖があって曲がっちゃったりするんですけれど。メープルは木目がおとなしくてあまり曲がったりしないんです。建築の場合は檜や固い部分にはケヤキがいいんですよね。もちろん使用する用途や場所に寄って手違うんですが。適材適所ですね。

工場にならんでいる工具もしっかり手入れされていますね。

大場:カンナでもノミでも買ってきても、そのままでは使いませんね。このカンナもよく見ると、少し傾斜を付けているんです。初めは平らだったんです。必ず自分で調整して使いやすいように改良してから使っています。このカンナの刃も買ったままでは刃が入っていかないんですよ。ノミもそうです。刃ももちろん研ぐんですが、背面も真っ平らになるように削るんです。光っていれば光っているほど切れ味もいいですし、仕上がりにも影響してきます。スケボーの板を作るときやランプを作るときは電動工具を使うことが多いですね。

大場さんに憧れて弟子入りしたいという人は来ませんか?

大場:何人か来ました。ウチではいろいろやり過ぎるから、他へ行くようには勧めています。まずは本職というか、なにか専門的なことを学んで、手に職を付けた方がいいと思うので。それからスケートボードを作ったりしても遅くはないので。来た人にはそう勧めています。

宮大工、そしてWooden Toyの二足のわらじを履いて仕事をしていますが、これからの夢は何かありますか?

大場:今までやってきたことをもっと確実にやっていきたいですね。失敗してきたところをしっかり直せるようにしたい。もっともっと進歩していきたいですね。時代もだいぶ変わってきて、今まで通りでは仕事もしにくくなってきてしまっているので、時代にあったようなことをしていきたいです。

大場さんは木を扱う仕事をしていますが、木材のリサイクルについてどう考えていますか?

大場:基本的に大工や木工職人って何千年前からある職業なんです。神社お寺の骨組みは1000年以上持っているところもたくさんありますし。骨組みには木組みだけで作りますし、例えば消耗する屋根は次に壊れた時に修繕しやすいように作ってあったり。当たり前のことですが、長持ちさせるように作る技術自体が木を大切にすることなんです。例えば柱を作るのにまずは4メーターくらいの柱を切って、3メーター使うとします。切り落として残った部分は加工して他のことで使うんです。無駄なく使うというのは大工や木工職人の基本です。それは職人みんなに染みついていることなんですよね。切り落としたら余った部分をとって置いて、また次になにか小さなモノに使って。それでもあまった小さい木片は暖をとるための薪にします。自分のところでも端材をとって置いて暖をとるための薪として使っています。当時見習いで入った親方のところだとお湯を沸かしたり、暖房に使っていたのはすべてそういう廃材でした。そして燃やした後の灰も畑にまきました。大工はこうやって無駄なく使うのが当たり前なんです。循環させています。なので今になって改めて語ることもないんですよね。

大場康司

大場康司(宮大工 / Wooden Toy)

大場組代表、宮大工として建築業に携わる傍らスケートボードブランド、Wooden Toyを展開。カスタムビルドデッキのオーダーだけでなくランプ、スケートセクション、プールコーピングの制作も請け負う。日本では数少ないクリエイターにしてその分野でのパイオニアである。

Photo / Taro Hirano Text / Taku Takemura