代々木上原駅から歩いてすぐ。凜とした店構え。店内に入ると、お客さんが美味しそうに食事をしている。何を食べよう?メニューが僕に話しかけてくる。「助けたい 包みたい 按田餃子で ございます。」よくわからないけれど、助けたいってなんだか安心だな。しばらくすると外には列ができていて、じっと待っているお客さんたちの表情は穏やかで、みんな按田餃子に包まれるのを待っているかのよう。写真家の鈴木陽介さんと「按田餃子」をオープンさせた按田優子さん。料理研究家で「冷蔵庫いらずのレシピ」や「たすかる料理」などの本の著者でもある。一度食べるとまた食べたくなるその独特な餃子、そしてもう一つの看板メニュー「ラゲーライス」なるオリジナルメニューも人気。料理のことだけを考えるのではなく、食べることは生活の基本という考えをもとにした料理作りがとても面白い。料理はもちろん、普段の生活の中でもヒントになることがたくさん。二子玉川にできた2号店で按田さんにお会いしました。
保存食研究家。菓子・パンの製造、乾物料理店でのメニュー開発などを経て2011年独立。食品加工専門家として、JICAのプロジェクトに参加し、ペルーのアマゾンを訪れること6回。2012年、写真家の鈴木陽介とともに「按田餃子」をオープン。
按田:実家が銭湯をやっていたんですよね。銭湯の裏に実家がくっついていて。手伝いでよく番台に立っていました。初めてのバイトは有名チェーン店の牛丼屋さんでした。大学の授業が始まる前の早い時間にバイトがしたくて、パンやお菓子の製造の仕事をしていました。バイトのあと授業に出て、放課後は好きな映画を観に行くなど他のことができますから。実家が手づくりをする家庭だったんです。一緒に住んでいた祖母は正月にはおせち料理をすべてつくっていましたし、ヨモギを摘んで草餅をつくったり、お彼岸にはおはぎをつくったりしていました。母親も私の洋服を手づくりしてくれたり、セーターを編んでくれたり。日々の食事もほとんど家でつくってくれていました。
アルバイトをしようと思ったときに、パンやお菓子の製造って自分にもできるって想像しやすかったんです。何かをつくったらお金がもらえるという感覚が。実家の銭湯の仕事もその感覚に似ているなと思って。将来の夢がお菓子屋さんではなかったんです。それこそ初めてのバイトは牛丼屋でしたから。
そのあといろいろな職場を経て、乾物を扱うカフェで働くようになったんです。そこで働いていている時にちょうど東日本大震災が起こって。支店の店舗が計画停電になることになって、冷蔵庫に入っている食材をすべて廃棄しなければならなくなりました。そのとき、乾物を扱っているのに冷蔵庫が必要なのってなんかおかしいな?と疑問を抱いたんです。ふと自宅にあった冷蔵庫のコンセントも引っこ抜いてみました。どういうふうに暮らしていけるのか試してみたくて。100年前の生活に冷蔵庫なんてなかったですし、それありきのシステムになっていることが怖いなって思って。
いまでも世界のスタンダードで考えると冷蔵庫を持っていない人の方が多いんじゃないかって思うんです。冷蔵庫のコンセントを抜いたあとはお肉やいろいろな食材を部屋のあちこちに干して保存食にしました。生肉なんかは塩分濃度によって2日、1週間、1ヶ月と保管できる期間が変わるんです。いろいろなものを干していました。乾物の知識は少しありましたから。梅干しはこんな塩分濃度でおばあちゃんが漬けていたな、とか白菜漬けはこんなふうに重石を乗せて空気を遮断していたなとか。パンとお菓子作りの仕事も10年続けていたので、糖度や発酵とかすべてパーセンテージの数値で表すので、なんとなくそれの応用でできるって思って始めたんです。その時に編集の仕事をしている友人が家に遊びに来て、家中にぶら下がっているお肉や食料をおもしろがってくれて、本を作ることになったんですよね。「冷蔵庫入らずのレシピ」という本でした。その時に写真を撮影してくれたのが鈴木陽介さんでした。
按田:そうなんですよ。レシピ本の中に水餃子というのがあって。撮影が終わるとみんなで試食するのですが、それを食べた鈴木さんが「ニラとかニンニクが入っていない餃子屋をちょうど開きたいって思っていたんだよ。」って言って。冷凍した水餃子ならアルバイトでも任せられるとか、女の人が一人でも入れる店が良いとか言うので、ずいぶん具体的に考えている人だなって。
編集担当の人も「中国の按田地方に伝わる餃子!」とか適当に冗談を言っていたんです。でもカメラマンだしまさか本気でお店を開こうなんて思っていないと、私も適当に相づちを打っていて。本ができたら餃子屋という体裁で出版パーティーをしよう!なんて話していたんです。そしたらしばらくして鈴木さんがいきなり物件を借りてきたんですよね。そしてお店の名前も按田餃子になりました。笑
按田:そうなんです。でも鈴木さんの中ではコンセプトがしっかり決まっていたんですよね。「男の人だと22時頃に帰ってきて、そのあとに牛丼屋とか平気でいける。でも女の人にはそれが恥ずかしいんだよ。でも女の人だってお腹はそのくらい減っているし、しっかり食べたいからスーパーで唐揚げを買うんだよ。その時間の女の人は」って話すんです。「でも健康を考えて野菜も採らないといけないから、サラダと唐揚げなんだよなって。これじゃあ綺麗になれないよな」とか言ってて。余計なお世話だよ、って突っ込みたいくらい(笑)。だからそういう人たちが気軽に入れる「女の人版吉野家」みたいな感じの店があったらいいのに、そして代々木上原に物件をみつけたのも鈴木さんの事務所が近くで、事務所のまわりに綺麗な女の人が増えたら気分がいいからって。そんな理由です(笑)。
でもこれだけはっきりしていたんです。ご馳走を食べに行く店じゃないんですよ。スッピンで寝癖がついていても来られるような感じとか。女の人たちが帰宅してからしなければいけない自炊を肩代わりすればいい。そんなお店なので、味も普通でいいんです。そういうふうに考えていくと、本当に手を加えないというか、それでいて家の安心する味。いつも食べているお味噌汁みたいな、そのくらいの美味しさでいい。それがいいんですよね。『たすかる料理』という本もそういう理由でそのタイトルです。
按田:オープン当時はランチをやっていなくて。ランチをやろうと思ったときにランチといえばコレ!という目玉になるようなメニューを考えていたんです。そしたら鈴木さんがまた言うんです。「うどんだと熱すぎるし汁が服に飛んだらいやだ。小鉢がたくさんある料理だと、人と話をしながらでは集中できない。カレーライスは胃もたれするからいやだけれど、楕円形の皿にのっていてスプーン一つで全部が食べられる熱すぎない食べ物がいい」と。もう面白くて(笑)。でも私にとってとても具体的な意見だったんです。
そこで私は「キクラゲと金針菜を食べさせたい」って思ったんです。お母さんが言うみたいに。キクラゲと金針菜がたくさん入っているご飯がいいと言ったら、「あっ、ラゲーライスね!」って鈴木さんが言ったんです。カレーライスの形状でキクラゲが食べられるからラゲーライス。もうすごい適当に進んでいたんですよね。だから最初にネームングが決まってしまって、それからラゲーライスっぽい出で立ちのメニューに仕上げていくという感じでした。せっかく自分たちでお金を出し合ってやっているんだから、やりたいことを思いっきりやろうと。それでも貯金が尽きたら解散ね!って。別に友達じゃないし!って(笑)。
按田:近所のスーパーの店内で、「助け~られたり、助けたり~」みたいな音楽が流れていて。自分たちもなにか歌も作りたいよねって話になったんです。持ちつ持たれつ、みたいなあの歌詞が面白いなと思って。そしたら鈴木さんが「助けたい 包みたい 按田餃子でございます。」ってそれっぽい口調で言い出したんですよ。そういう感じの真面目さ、みたいなキャラにできあがって。別に助けたいわけではないんですが、助けて欲しい人が飛び込みやすいかなと思って。どんな人にでも間口の広いお店という感じにしたくて。
按田:まず今の私にとって料理は愛情表現にはなっていないんです。たとえば、家族や子どもがいると、つくってあげたいとか、美味しい物を食べさせてあげたいとかって愛情表現として料理を作ることもあると思うのですが、私はあまりそういうふうに捉えていないんです。料理は自立とか体調管理とか、健全であることの最低ラインを保つもの、と考えているので、自分でそれがコントロールできるんだったらした方がいいなと。
たとえばお店には小さなお子さんがいるアルバイトの人もたくさんいるんですけれど、その子どもたちにこのやり方さえ覚えてもらえれば、ひとりで留守番できるでしょ?って思うんですよ。そういうふうに考えていて。というのも、私は子どもの頃すごく体が弱くて、ずっと食事療法をしていたんです。給食も食べないで、処方された食材の組み合わせ、調理法のものを持って行っていました。そういう意味では食事を通して母親の愛情を受けて育っているんですけれど。だけれど、その食べ合わせによって体調が変わったり、体調が変わってその精神状態が変わったりということが、食べ物との因果関係っていう経験がすごく蓄積されて。でもそれはそれぞれの人が自分でしかためられないデータベースなんです。それさえ持っていれば、どこへ行ってもこの場合はこう、みたいに考えたり対応できたりするっていうのはとても自由なことだなと思います。
按田:やっぱりそこは切り離して考えられないんです。ひとりの料理家としてどういう特長を出していこうかとなったときに、たった数十年生きてきた経験だけで文化的なことをものすごい覆すような何かをつくれるということはまずないなって。ミントを乗せるか、胡椒を振るか、みたいなことしかできないんですよね。でもそこにはあまりアイデンティティみたいなことは感じていなくて。料理は日々の生活にある一部。衣食住はすごい関連しているから。特に住環境とか台所のレイアウトとか家の間取りというのが料理の完成形をつくるんじゃないかなってと思っていて。
銭湯に住んでいたとき、その向かいにワンルームマンションができたんです。私は銭湯とつながっている忍者屋敷みたいなところに3世代で住む6人家族でした。だけど新しくできたマンションは真っ白でまっすぐな建物でした。建設中に友達とこっそりと入ったんですよね。玄関を入ると、シンクとガスコンロ、冷蔵庫置き場になるスペース、ユニットバスと洗濯機を置く場所。壁にパタンと立てられるベッドがあるだけ。初めて見るその小さな部屋にすごくびっくりしたんです。幼いながらここに住むの?って。コンロは一つしかないから炊飯器を買わないといけないし、電子レンジを使わないとおかずは食べられないと。すべて自己完結して自己管理しなさいって言われたら、誰にも迷惑かけないで頑張るんだったらコンビニでご飯を買ってくるしかないし、いつも納豆卵かけご飯をたべるしかなくなっていくんですよね。
その中で料理のレパートリー増やしていくのってとても大変だなと思って。たまに雑誌などの依頼で、美容にいいレシピ、みたいなお話を頂くんですが、スキンケアして、ヨガやってマッサージして、なんてやっていると、21時に帰ってくる女の子が週末仕込みの料理とかやっていられないと思うんです。現実的ではないんですよね。住んでいる環境や生活スタイルで全然違うんです。そういう煌びやかな料理が虚構なんじゃないかなと思って。体裁を縫うような虚構がどんどんファンタジーになってきちゃって消費されちゃっているという感じを直した方がいいなと思って。
按田:漬物とか乾物とか賞味期限の長いものが自分には合っていると思います。例えば今夜はコロッケにしようって思っていても、急に意気投合して飲みに行くことになったり、体調がそうじゃなくなったり、気分でコロコロ変えていける方がいいので。そういうことを無理矢理、コレが余っているからこうしないとみたいなことがなるべくないようにするにはやっぱり漬物や乾物を切り崩していくっていうやり方が一番自分にはいいですね。タッパーに常備菜をつくり置きするみたいなのは実は苦手です。痛む前に食べないといけないってプレッシャーじゃないですか。ぜんぜんありがたい物になっていないんですよね。
按田:私は焼鳥が好きです。肉好きなんです。もちろん魚も好きなんですけど。外に行くときは自分で作らない物が食べたいんですよね。おでんも好きなんですが、自分でつくるおでんが一番なので。焼鳥が好きなのは、自我のないところというか、つくり手のいろいろな個性が表れにくいところが好きなんです。肉を焼いてタレか塩かみたいな。超こだわりのナントカみたいなお店はあまり行かないです。でも例えばみんなで美味しい中華料理屋に行こうというのは好きです。こんなに面白い組み合わせがあるんだね!みたいな感じで。おなか減ったけどどうしよう?みたいなときは焼鳥か寿司みたいなシンプルなものがいいです。
按田:洋裁が好きです。服をつくったり。今はなかなか時間が取れないのですが、学生のころは自分で採寸して、パターンを起こしてジャケットとか作っていました。欲しいものを探すより、つくるのが好きなんです。
按田:基本的な業態はこのままなのですが、自炊をしたことない若い子が働いてくれて、そのまま自分の台所でも似たようなことをすれば自分の体調管理くらいできるし、食べ物が傷んじゃったのか、まだ大丈夫なのかという判断がついたりできるようになってもらえたらいいなと思っています。料理を提供しつつ、教育って言うとちょっと違うのですが、食文化が現役稼働するような場所としてあったらいいなと。この営み自体が文献に載っているものではなくて、こういうふうに分業して共通の文化を持っている人たちで一緒に作業できるということの証明の場にしたいです。なのでなるべく長く続けていきたいです。
按田:冷蔵庫はあります。個人的にプラスチックフリーにしているとかではないんですよね。来週からまたペルーに行くのですが、そういうところで聞く印象的な話は、泥炭地の水を抜いちゃって椰子畑とかにしちゃうと、それが原因で森林火災がなくならないとか。たとえばアマゾンに橋とか作ると大手の資本が入って、そういう場所の水はけをしてプランテーションを始めてしまう。そんな話があるんですよね。それをなんとか阻止したいと思っていて、周辺に住んでいる人たちが自分たちの土地を里山のように捉えて、その里山の恵みで自分たちの生活の営みを循環させるというようなマイクロビジネスみたいなモデルを作れればいいんじゃないかなと思っています。つまりそれは神話だと思うんです。
そこに神話があればその土地をお金のために売っちゃうということがなくなると思うんです。私の行っているペルーの奥地には、そこで自生している植物があるんですが、それをうまく商品化できたらなと。その植物はアメリカだと既にスーパーフードとして商品化されているくらいの物なのですが、それだと商品化の意味合いが変わってきてしまうので、なにか別の方法を考えています。
そういうときに大切になってくるのってビジョンというか物語をどれだけ描いているのかってことかなと思っています。お店をはじめるとき、鈴木さんのしゃべっていたことはけっこうモヤッとしていたのですが、ビジョンがハッキリしていたのでカタチにできたんですよね。具体の中で生きているんだなと。世界的にCO2排出量がどうのこうのっていうパーセンテージって実は抽象的じゃないですか?そういう風には考えていないです。もっと具体の中で生きている感じですね。
保存食研究家。菓子・パンの製造、乾物料理店でのメニュー開発などを経て2011年独立。食品加工専門家として、JICAのプロジェクトに参加し、ペルーのアマゾンを訪れること6回。2012年、写真家の鈴木陽介とともに「按田餃子」をオープン。
著書に『食べつなぐレシピ』(家の光協会 )、『たすかる料理』(リトルモア)、『男前ぼうろとシンデレラビスコッティ』(農文協)、『冷蔵庫いらずのレシピ』(ワニブックス)。雑誌での執筆やレシピ提供など多数。